日本:恐怖に支配された国 | Seetell.jp

Via Scoop.it地球のつながり方 震災・原子力事故

我々は、この記事を書くことで日本をいじめているのではない。歴史は恐怖によって支配された社会であふれている。我々が日本に焦点を当てているのは、その人々、文化、民族の伝統を愛するからである。これは日本や日本の人々の批判ではなく、なぜこのように頭がよくて勤勉な大勢の人々が経済的、社会的崩壊の危機に瀕しているのか、そして日本人を強制的に「グローバル社会」に加えようとすることで日本人としてのアイデンティティーを喪失するかもしれないのか、その理由を理解するために考えてみたいと思う。

真剣に考えてみたが、一般社会では恐怖が主たる動機になっていることに気が付いた。誰もが恐怖心をもっている。これは国全体にとっては悪いニュースである。さらに悪いことに、人々をコントロールしたい者にとっては、これは願ってもないことだという事実だ。恐れをもっている人々は容易にコントロールされるからだ。

人々は、戦争を恐れ、資金不足を恐れ、社会的地位を失うことを恐れ、将来を恐れ、愚か見えることを恐れ、人と違うことを恐れ、人並みでないことを恐れ、日本人が心にもっているその他数々のことを恐れている。この恐怖は、常識や命の大切さを忘れさせ、国家を誤った方向に導くのだ。

これらの数々の恐怖のどれかが、人を自殺へと追いやる。日本の人々は自殺する人たちがどのような恐怖を抱えているのかを真剣に考える必要がある。ほとんどの人は自分はこのような行為は絶対しないと主張して、自殺に無関心である。しかし、恐怖は人々が普段考えないようなことを人にさせる場合がある。例として、東北の多くの人々は、一年前、今まで経験したことの無いレベルの恐怖を知った。その数ヶ月後、家族と資産や生計のすべを失い生きる望みを失った人々の選択は自殺だったのだ。日本ではあまり頻繁に起こらないかもしれないが、個人が愛する家族、仕事、生活、その他を失った場合、同じことが起こる可能性はある。恐怖は注目に値する。
将来への恐怖は、日本の一世代全体の多くが結婚をしたり子供作ったりしない決断をさせている。その行動自体が彼らの恐れる未来をもたらすというのにだ。彼らは、経済、税負担、老後の保証の欠如、責任の恐怖から、関係を結ぶことを恐れるようになった。日本の失われた十年は、失われた世代を作ってしまった。
戦争の恐怖から、日本は国家保障と主権を外国の軍隊に譲ってしまった。この外国の軍隊への恐怖から、負担を受け入れることを拒否し、不平等にも農村部や孤立した地域にそれを押しやってしまった。日本人はすべての地域には脅威と危険があると信じ、その恐怖は近隣諸国との効果的な外交関係を確立することを妨げている。このため、最終的には、日本の運命は、外国の首都で日本人の利益とは無関係に、自分たちの都合のよいように決められてしまうだろう。
愚かに見えることや人と違うことを恐れて、日本人は創造性と革新性を放棄する。いじめは、日本では特に慢性的な問題であり、それは学校だけの問題ではない。それは仕事や社会生活でも起こる。しかし、最大のいじめの根源は、現状維持だ。それは社会に染みついた考え方であり、群れから離れて異なった考えをもつ人を排除するものだ。驚くべきことに、この考え方は、日本社会にとっては比較的新しいもので、実業家と官僚階級が彼らにとって日本は十分進化したと判断した結果、日本の思想として取り入れられたものだ。コントロールを強制する考え方のせいで、これまで何人の革新的なアイデアをもつ人が、出る釘は打たれるように、アイデアをつぶされ、アイデアは日の目を見ることもないまま、強制的に右へならいをさせられただろうか。日本が皆一緒に衰退する中、何人が日本を脱出し他国を豊かにすることに貢献して来ただろうか想像して欲しい。まだどの位多くの画期的なアイデアが政府や企業組織に埋もれているのに、そのまま朽ちていくのだろうか想像して欲しい。
人並みでないという恐れから、国家は、回復できないほどの膨大な借金に陥っている。日本が経済的優位性の最高レベルにあったとき、国家としての誇りをもっていたが、何事も永久には続かないということを理解していなかった―特に経済はそうである。経済が崩壊したとき、世界にきちんとした国家でないとみなされ恥をかくのを恐れて、結果として、リーダー不在、社会の廃頽、社会保障制度の崩壊、持続不可能な債務といった下降方向の道を選んでしまった。負け続けているギャンブラーのように、日本は、傲慢さから学び、経済を以前にも増して強固に立て直す代わりに、借金によって繁栄の錯覚をもち続ける方を選んだ。
読者は、このリストに自分で書き加えることができる。なぜこのような恐怖の状態が日本に存在するのか知るのに「誰が得をするのか」に注目しよう。このような広範囲にわたる恐怖は自然の状態では存在しない。それを育てる手がある社会にのみ存在することができる。日本では、その手は、多くの指を持っているのだ。

企業は革新をコントロールすることによってメリットを得る。大企業が、資源、物流、労働力へのアクセスを支配していて、中小企業が競争することができない場合には、国力に悪影響を及ぼす。大企業による策略が問題を引き起こしている一方、自分たちが作り出した環境を逃れて、彼らはビジネスを日本国外に移転させることができる。大企業による支配の恐怖は、多くの潜在的起業家を臆病にさせてトライすらもしなくなる。
官僚制度は人々をコントロールすることでメリットを得る。平均的な日本人家庭で日常的に行われていることで政府によって規制されていない部分は至って少ない。しかし、法の施行は至って選択的である。政府は、自転車で日本の狭い道路の代わりに、歩道を通行するのを違法とし、子供や祖母を罰するのは適切と見るが、原子力産業を効果的に規制することは一切しなかった。官僚に立ち向かうことの恐怖は、日本に弱い政治家をつくり、さらに従属的な社会を作った。従って、日本を支配する者たちは、顔も名前もないので・・・誰からも挑戦されることがないのだ。
外国勢力はメリットを得ている。最も明白なのは米国で、国家間の不平等な安全保障条約のおかげで日本の多くの部分をコントロールしている。つぶさに分析すれば、中国の共産主義政府も同様にメリットを得ているのが分かる。日本がアジアにおける米国の外交利害の操り人形である限り、日本は、中国政府がナショナリズムの精神を掲げてやり玉に挙げるための完璧な敵である。尖閣諸島島事件の余波はそれを明確に語っている。その事件から恩恵を受けた二つの国は米国(中国からの攻撃を口実に日本への支配力を強めた)と中国(日本の犠牲においていくつかの内部抗争を鎮圧できた)であった。より強く、独自の外交を展開できる独立した日本は、これらの両国とよりよく、より対等な関係を構築し、つまらない小競り合いを排除できる。しかし、日本の内外には多くの利害が交錯し、利益を得る者にとっては、日本人が恐怖に満ちていた方が好都合なのだ。
日本が、日本人が心にもっているイメージを払しょくして、生き残るためには、その恐怖を克服する必要がある。それは、未知に直面することである。これは、個人レベルでも国家レベルでも当てはまる。日本人は人と違うことの恐怖を振り払い、集団社会の一部にならなくても怖くないのだという考え方を見つける必要がある。この恐怖が日本を支配しなくなれば、経済は、革新と新たな起業家精神を通して強化され、リーダーは強くなり、人々に敏感に対応して、企業や官僚が国民をがんじがらめにしている縛りが取れる日が来る。

それにはまた、他の国に頼らず、自力で世界に直面する決意が必要だ。日本には知性があり、他国への脅威とならずに、そして他国を恐れず自分自身を守る能力を有している。必要なのは、決意と勇気だけである。

最後に、日本人は社会において家族が占めるべき優先的位置を再設定する必要がある。家族の衰退は、経済的恐怖と大企業と官僚の支配の恐怖の結果である。彼らは彼で、家族の優位性が国家組織より高くなり、人々が彼らに立ち向かうことができることを恐れている。人々は、この弱点を理解し、権力階級が何世紀にもわたって人々の恐怖を悪用して来たように、彼らの弱点を利用しなければならない。

日本の社会が多くの恐怖を克服しない限り、新しい、生命力のある、独立した日本が存在することはできない。

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