『アントワープに移住=ヤン・ブリューゲル』Antwerpen in Belgium

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『アントワープに移住=ヤン・ブリューゲル』Antwerpen in Belgium

先にご紹介しましたピーター・ブリューゲル(父)には二人の息子がいました。それはこの作品を描いた次男のヤンJan Brueghel the Elder(1568年頃~1625年1月13日)と父親と同名の長男のピーターです。

★二人とも画家として生き、成功していますが、父のピーターはヤンが1歳の時に亡くなり、母親もヤンが10歳を迎えようとする年に亡くなっています。ですから兄のピーターと姉妹のマリアと共に孤児になったヤンでしたが、幸いにも画家であった祖母が彼ら三人を引き取り、1578年頃にアントワープに移住するのです。

有名画家であった父親の手ほどきを受けることのなかったヤンでしたが、父親から譲り受けた資質に加え、祖母の先見の明が功を奏したのでしょう、彼女はアントワープに居を移してから、ヤンとピーターを風景画を得意とするギリス・ファン・コーニンクスローという画家の下で学ばせたのでした。

もちろん、祖母の思惑通り、ヤンもピーターもそれまで潜在していた画家としての素質を現し、人よりより強い創造性を持ち合わせていたことで、他の画家たちとは異なる独創性に富んだ絵画の世界を徐々に創り上げてゆくのです。

★ことにヤンは温和な性格でしたから、当初は優しい花や果物といったものを描いていましたが、1589年から7年間イタリアに滞在し多くを学んだことで、画家としてのヤン独自の世界を見つけたのでしょう、後半は花や果実以外に風景画や街の情景を描くようになりました。

それは兄のピーターとも異なる画法で、物静かで優しい性格からくる彼独特の色調で包まれ、その秀麗さと気品あふれる画像に誰もが魅入られましたし、各方面から賞賛の言葉も数多く投げかけられました。

そして、いつしか「ビロードのブリューゲル」(ビロードを思わせる色調ゆえに…)とか、花を好んで描いたことから「花のブリューゲル」などもと呼ばれ、人気画家となっていたヤンでした。

★資質、素質はやはり親から譲り受けるものでしょうか、ブリューゲル家は親子兄弟ともども画家という道を選び歩みました。それも3人の子供共に画家として成功の道を歩んでいるのです…。

1歳で父親を失っているヤンは「門前の小僧習わぬ経を読む」ということではなく、でも、天性の素質を磨き、絵画を描いて成功を収めるのです。

それは親から受け継いだ資質と共に、環境づくりをしてくれた祖母の力があってこそのヤンでありピーター兄弟だと思います。

★資質もあるとは思いますが、芸術の素質を育てるのは、その育つ環境に大きな意味を持つと思いませんか?

なぜなら、育った環境からその人の生きる場所を見つけることが多いからです。

ですから、家庭も社会もその環境の輪を広げ、また、子供たちの選択肢を極力多くしてあげるために、できることなら、多種に渡っての環境を用意してほしいのです。

環境を整えるということに精一杯の努力をしてほしい…。そう願うのです。それは育ち盛りの子供たちにとってはとても重要なことですから。彼らの未来を夢多いものにするためにとても重要なことですから…。

★写真はヤン・ブリューゲルが画家としてその名を世間に知られるようになった頃、彼が画家として生きた初期の作品のひとつ『東方三博士の礼拝』です。

★画像、記事の著作権は全て私に帰属しております。転載・転用、ダウンロードは固くお断りいたします。また、シェアに関してはこの限りではなく、誰もが可能ですが、その場合、一言頂けるとうれしく思います。どうぞよろしくお願い致します。

(トラベルジャーナリスト、ライター、作家 市川昭子)
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